私の宝物

父の思い出  
 父は「自分だけが知っている人生」を貫きました。外から見てもどういう人なのかわからないのですが、死に際して腹のすわった人だと思いました。太平洋戦争では、上海の特務機関に4年半、戦後はGHQに4年、「俺の人生はそこで終った」と父はよく言いました。自衛隊調査学校・幹部学校・亜細亜大学・国士舘大学などで教えました。亡くなって17年、大人(たいじん)の風格ある人と葬儀の時に人々は言いました。

RYOU  
 インドで育ち、4歳で日本に帰ってきた息子。幼いときはキュートそのもの、オムツをつけてダンスを踊っていました。日本の画一教育に馴染まず、学校は社交の場としてのみ利用しました。科学と哲学の本ばかり買っている、生命工学専攻の大学生です。自己主張の強いインド人気質で、日本社会で生きていくには相当軋轢があるでしょう。

尊敬する人  
 堺屋太一です。歴史に学び、未来を予測し、未来から現在を築くことを教えています。人々が共有する新しい時代の価値を明快に指摘します。

友人たち  
 長い間、友人は少ない方でした。知的に満たしてくれるのが友人と考えていたためです。今は、むしろ、さまざまの側面をもった友人を求めるようになり、友人が一挙に増えました。

私の好きな場所  
 人混み。新宿生まれの私は原風景が人混みです。「ふるさと」は山や川という固定観念がありますが、私にとっては、喫茶店でコーヒーを飲みながら交差点を行き交う大量の人々の集団を見ているときが一番心が安らぎます。

ワインとビールとチーズがあれば  
 元来小食で、飲む方が主。ビールと赤ワインは主食(夜だけですが)。  おつまみはチーズ、野菜のスティック、チョコレート。大量のコース料理は勿体無いけれど小さい胃に入りません。

「人みな骨になるならば」−頼藤先生のこと  
 2001年に夭折した精神科医頼藤和寛の著作に心を奪われました。精神保健福祉行政は私のライフワークのひとつで、国際政治、経済小説、精神医学の三分野が最も多い読書の分野です。頼藤論は「科学しか信ずることはできない。しかし、虚無に陥るのではなく人生は楽しく生きる仕掛けをすべし」という論に立ち、その博識ぶりには圧倒されました。お会いする約束をしたものの、肺癌が急変して叶わず、約束の日から2週間で亡くなりました。その後ご夫人にお会いしましたが、「夫は、テレビで見た大泉さんね、と言って、あなたのことを知ってましたよ」と言われ、少し慰められたように思います。頼藤論は、長くなるとはかぎらない人生に早く「仕掛け」を作らねばならないとの思いを呼び起こし、私が次の人生を決断するきっかけとなりました。

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